株式投資に求めるもの3つ

なぜ株式投資がこんなに好きなんだろうか。普段の仕事はあんまりすきじゃないのに。理由を考えたら、結局自分が何を求めてるかをはっきりさせることにいきつくんだよね。

 

結論としては、

お金、自分、感情。

です。

 

単なるお金ではなく「稼ぐ力」を表すお金

お金っちゅうのは、すべての個人投資家が投資にもとめることでしょう。一見当たり前のよう。でもある日誰かから欲しい額もらう機会があれば(遺産相続とかありえないこともないかもよ…)、それで投資をやめない人も一定数いるんやないかと思う。ってことはやで、個人投資家が求めているお金っていうのは、結局「稼ぐ力」を具現化したものなんやろうな。おれらはサバンナで獲物を捕まえる力がほしいんであって、毎日エサもらえりゃ満足なわけじゃないんよな。しょせん人間かて動物やから、太古の昔からの遺伝子で脳みその回路がそういうふうに組み込まれているんやろな。

 

普段の務め人ではない自分

大きな組織に雇われている私のような人は、普段上司から言われたことを如何にうまくやるかを求められているんですよね。でもな、そういうことをずっとず〜〜〜〜っとやってると、自分がなくなってくんねんな。組織というのは誰がやってもうまくいくことを究極的には目指しているわけで、個人を求めてはいないから。でも、投資をするときには自分が現れる。時には「こんな自分、どこにいたんや?」って思うような自分が現れる。RIZAPの瀬戸社長がいつもいうように、現代社会では「自己実現の欲求をいかに満たしていくか」というとこがお勤めではなかなか満たせんわけよ。腹いっぱいになってもなんか満たされへんなって感覚やな。これが、投資で満たされる、不思議なもんで。いや、当たり前か。自分の金を自分で考えた銘柄に自分で思う分だけほりこんで、儲かったら全部自分のもの、損したら自分の金がなくなるだけ。そりゃ満たされるわな。

焦燥、失望、歓喜

おれは幸せなことに仕事で泣いたことある人間や。でもずいぶん前や。何というかもう感情としては覚えていなくて、記憶になっているといって伝わるだろうか。それが株式投資ではけっこうな頻度で感情を揺らされる。当たり前や、自分の金がかかっているわけやから。夜IR出て「よっしゃ〜〜〜!!!明日S行くんちゃうか〜!ひゃ〜〜\(^o^)/」が、朝9時「…マッテヤキノウノナンヤッタン…」。おれは一応長期投資家のつもりなんやけど毎日一喜一憂したる!株の儲けは我慢料やから、い〜〜〜っぱい我慢したんねん!百喜百憂や!株式投資は感情に従わずに…、とか予め決めたルールに従って…とかいうのが俺には合わん。おもくそ感情を爆発させて楽しんだる。ええんや、これはおれの投資やからな。

 

結局、生きている実感。

これにつきるな。カイジみたいなもんですわ。